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森永ミルクキャラメル成長のために行われた社内運動会の競技とは?|お買い物トリビア(147)

出典:photoAC(今も昔も人気者のミルクキャラメル)


明治32(1899)、森永太一郎が「森永西洋菓子製造所」を設立。キャラメル製造販売を始めたことから、日本にキャラメルが誕生することとなりました。しかし、当初は多くの日本人の口には合わず、限られた人々だけが嗜むお菓子だったそうです。

 

乳製品の価値が注目され、バターやミルクが愛好される時代になると、ミルクキャラメルが誕生し、大正2(1913)にバラ売りの「森永ミルクキャラメル」、翌大正3(1914)に「紙サック入り森永ミルクキャラメル」が誕生しました。

 

1920年代になると物の値段が上がり、ミルクキャラメルの価格が相対的に安くなったことから人々が購入しやすくなりました。森永製菓は菓子産業の近代化に努め、機械化・流通経路の整備・多彩な宣伝広告活動を実施し、「滋養豊富 風味絶佳」の森永ミルクキャラメルは、多くの人々に愛されるようになっていきます。

 

さて、そんなミルクキャラメル躍進のかげには、森永製菓社内で実施された驚きの工夫がありました。ご存じですか? その工夫とは、森永秋季大運動会で競技として行われていたのです。その競技とはいったい何でしょうか?

 

 

お買い物トリビア「森永ミルクキャラメル成長のために行われた社内運動会の競技とは?」の答えはこちら。わかりましたか?

 

出典:photoAC(心を込めて、包んでいました)

 

正解は、「 キャラメルの包装競技 」でした。

 

黄色い箱に入った、おなじみの「森永ミルクキャラメル」。ひと粒ひと粒、ワックス紙で包まれた形態は昔から変わっていません。これは湿度の高い日本の気候でもキャラメルが溶けないようにするための工夫なんです。

 

明治の後期といえば、それほど西洋菓子が一般に広まっていなかった時代です。森永太一郎は、日本の気候風土に合わせ、チョコレートクリームやタッフィー、キャラメルなどを錫箔(スズハク)やパラフィン紙で包むことを思いつきます。この工夫によって保存性がアップした商品は、徐々に売り上げを伸ばしていきます。中でも、当時、バラ売りが基本だったミルクキャラメルは、森永の主力商品としてぐんぐんと成長していきました。

 

当時のキャラメルは、ひと粒ひと粒が人の手によって包装されたものでした。そのため森永では、白衣・白帽の制服の採用をはじめ、衛生管理を徹底しました。さらには、人気の高まるミルクキャラメルをいかに早く美しく包むことができるか、従業員たちはその技を競い合うほどモチベーションが高かったそうです。

 

明治42(1909)の森永秋季大運動会ではキャラメルの包装競技が行われました。ある地点まで走ってゆき、そこに用意してあるキャラメルを1粒ずつ包装し、パッケージに詰め、帯封をする、という競技です。寸秒を争って包むその速さと正確さ。一番迅速だった人はわずか2分間に1箱を仕上げ、満場の観客をあっと驚かせたとのこと。

 

ミルクキャラメルひと粒に、こんな歴史があるなんて。驚くとともに、なんだか温かい気持ちに包まれます。

 

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