鳥羽の地に足跡が残る「海賊大名」の名は?|旅する雑学(66)
現在は周辺の伊勢・志摩と合わせて一大観光地になっている三重県の鳥羽。ミキモト真珠島や鳥羽水族館など海に面したエリアならではの施設に多くの人々が集まっています。
しかし「鳥羽城」という安土桃山時代の城跡が残っていることはあまり知られていません。この城を建てたのは「海賊大名」とも呼ばれているある人物なのですが、その人物とは?
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旅する雑学「鳥羽の海賊大名の名は?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(鳥羽城跡には現在も見事な石垣が残る)
正解は、「九鬼嘉隆」でした。
九鬼嘉隆(くきよしたか)は志摩で生まれました。実力で一帯を支配した後は織田信長に従って各地を転戦しました。活躍としてもっとも有名なのは「鉄甲船」でしょう。敵方の鉄砲などの火器に対抗するために船の全面に鉄板を張り付けた、当時としては常識外れな巨大な船を製作したのです。鉄甲船の活躍で見事に敵を打ち破り、「海賊大名」として名を上げました。
1594年には鳥羽城を建設し、義隆の人生は順風満帆だと思われました。しかし1600年の関ケ原の戦いには西軍として参加、義隆は鳥羽城を拠点に戦いましたが最後は敗れて切腹するという悲劇的な結末を迎えます。九鬼家そのものは東軍についていた子の守隆が継いで存続しています。