松本城の月見櫓(やぐら)は、何のために作られた?|旅する雑学(167)

出典:photoAC(黒漆の松本城でひときわ目を引く赤い月見櫓)
長野県松本市にある松本城は、現存する五重六階の天守のなかでも、日本最古にあたる国宝のお城です。初代城主は豊臣秀吉に仕えた石川数正でした。その後、増築されていったことにより、大天守・乾小天守・渡櫓・月見櫓・辰巳附櫓の5棟による複雑な構造をなしています。
黒と白のコントラストが美しい松本城のなかで、ひときわ目を引くのが月見櫓です。赤い廻縁(まわりえん)と高欄(こうらん)のついた建物で、現在では月見櫓を舞台にして演奏が行われるイベントもあります。この月見櫓は、もともと何のために作られたものかご存じですか?
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旅する雑学「松本城の月見櫓(やぐら)は、何のために作られた?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(太平の世にふさわしい櫓からの眺めは、さぞ美しかっただろう)
正解は、「 3代将軍・徳川家光を迎えるため 」でした。
松本城の築城当初はまだ戦国時代で、石川数正が初代城主であった頃には戦いに備えた作りをしていました。その後、時代は戦のない世の中へと移り変わり、松平直政(徳川家康の次男・結城秀康の三男)が城主をつとめた寛永年間には、辰巳附櫓・月見櫓が増築され、現存する松本城の姿となりました。
月見櫓の増築は、第3代将軍・徳川家光が3回目の上洛の帰り道に善光寺への参詣を希望し、宿城に松本城があてられたことがきっかけです。松平直政は、上洛前年から急遽普請にかかりましたが、家光は中山道等での落石が理由で、松本城に立ち寄ることなかったといわれています。
月見櫓には、戦国時代の城造りのような戦闘用の機能はなく、東から昇る月をめでるために建てられた、太平の世にふさわしい建築物だったのです。