武士にとっては禁断の野菜!きゅうりを食べなかった理由とは?|お買い物トリビア(104)

戦国時代から江戸時代にかけて、日本社会を支配していた武士階級。彼らは厳しい規律と名誉を重んじ、独自の文化を築き上げていました。しかし、そんな武士たちにとって、食べ物にまつわる意外なタブーが存在したのです。それは、「きゅうり」です。
きゅうりは、現代では身近な食材です。夏には冷やしきゅうりがとても美味しいですし、年中サラダとして利用されています。
しかし、当時の武士にとっては縁起が悪いものとされ、食べることを拒んでいました。理由は主に2つ。なぜ、江戸時代の武士たちは、きゅうりを食べられなかったのでしょうか?
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お買い物トリビア「武士にとっては禁断の野菜!きゅうりを食べなかった理由とは?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(言われてみれば断面に三つ葉葵が……)
正解は、「 きゅうりの断面が徳川家の家紋に似ているのと、味がまずかったから 」でした。
江戸時代の武士にとって、きゅうりは食べることを禁じられた野菜でした。その理由は、主に以下の2つが挙げられます。
- 徳川家の家紋に似ている。徳川幕府の象徴である三つ葉葵の家紋は、武士にとって非常に重要視されていました。ところが、きゅうりを輪切りにした断面が、この三つ葉葵に酷似していることから縁起が悪いものとされ、食べることをタブーとされたそうです。
当時の人々は、きゅうりを輪切りにすることを「葵を切る」と表現し、これは徳川家を冒涜する行為とみなされたのでした。もし武士がきゅうりを輪切りにして食べていることが発覚した場合、厳罰が下されることもあったとか。
- 当時のきゅうりは苦くてまずかった。現代のきゅうりとは異なり、江戸時代のきゅうりは品種改良が進んでおらず、非常に苦くてまずい食べ物でした。そのため、武士に限らず、一般庶民の間でも好んで食べられていたわけではありませんでした。
当時の書物には、きゅうりは「下品な味で毒性もある」と記されているものもあり、栄養価の低い食材と認識されていたことも伺えます。しかし、江戸時代後期になると、塩漬けや酢漬けなどの加工技術が発展し、きゅうりの苦味やまずさを克服する方法が考案されました。こうして、きゅうりは庶民の間で徐々に人気が高まっていき、現代では食卓に欠かせない野菜となったのです。
規律と名誉を重んじる武士にとっては、どちらかと言えば断面が徳川家の家紋に似ていることのほうが重大事だったのかもしれませんね。