岐阜駅前の黄金像は戦国時代のある人物。その人物とは?|旅する雑学(83)
金華山にそびえ立つ岐阜城にはロープウェーで登ることができ、山頂からの眺めが素晴らしいと人気のスポットになっています。
岐阜城はかつて稲葉山城と呼ばれ、本格的に整備されたのは戦国時代の斎藤道三の時期だと考えられています。その後、織田信長が1567年の稲葉山城の戦いにより斎藤龍興から奪取し、本拠地を小牧山から当城へと移し、名前も「岐阜城」に改めたといわれています。
さて、このように長い歴史を持つ岐阜ですが、岐阜市政120周年を記念してJR岐阜駅北口広場前に黄金の像が建立されました。この黄金の像となった戦国時代の人物とは誰でしょうか?
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旅する雑学「岐阜駅前の黄金像は戦国時代のある人物。その人物とは?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(岐阜駅前にある像は織田信長でした)
正解は、「織田信長」でした。
織田信長は天下統一を目前にして、明智光秀の謀反により命を絶たれてしまいます。 その後豊臣秀吉が天下統一を果たすと、岐阜城は信忠の子秀信、つまり信長の孫に与えられました。
また、金華山の山頂に立つ岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長公は、この地でさまざまなことを行いました。 一つ目は、当時“井ノ口”と呼ばれていたこの地を“岐阜”と改めたことです。 二つ目は、商業を活性化させた「楽市楽座」と武士と農民を身分的に切り離した「兵農分離」の施行。
岐阜市を旅する機会があれば、ぜひ黄金の織田信長像も見てくださいね。