赤穂大石神社に祀られる本能寺の変で散った人物とは?|旅する雑学(61)
兵庫県赤穂市にある赤穂大石神社は、忠臣蔵の義士たちや浅野家3代を祀る神社として有名な観光施設のひとつです。元禄14年3月、吉良上野介に対する刃傷により即日切腹の沙汰を受けた藩主・浅野内匠頭。城代家老であった大石内蔵助を中心とする赤穂浪士47士が翌15年12月14日、吉良邸に打ち入り仇討本懐を遂げた一連の出来事は「忠臣蔵」として語り継がれています。
ところで、この大石神社には忠臣蔵とは無関係で、本能寺の変で散った人物が合祀されているのをご存じでしょうか。その人物とは?
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旅する雑学「赤穂大石神社に祀られる本能寺の変で散った人物とは?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(林の中にある森蘭丸邸の跡)
正解は、「森蘭丸」でした。
早くから織田信長の寵愛を受け、側近として重要な役割を果たしていたとされる森蘭丸の没年は1582年で、忠臣蔵の討ち入りよりも120年以上も前のことです。信長と行動を共にしていた蘭丸は、明智光秀による本能寺の変で信長と運命を共にしました。このとき、わずかに18歳。
蘭丸亡き後、森家は、浅野家が去った赤穂の地で時を経て藩主となったのです。赤穂大石神社には、蘭丸ら森家の人物が合祀されています。