山口県出身の初代内閣総理大臣とは? |旅する雑学(155)

熊毛郡束荷村(現在の山口県光市)の農家に生まれたとある偉人のお話です。性別は男。幼名は利助と呼ばれており、のちに春輔と改めています。そして成人を迎える頃には◯◯と呼ばれるように。
旧宅については見学も可能で、木造茅葺き平屋建て、約29坪の小さな家です。また、旧宅そばには、ほぼ等身大のこの偉人の陶像が建っています。さらに、隣接して東京より移築した別荘もあります。
この偉人は明治の政治における活躍ぶりが有名で、日本の改革の中心の一人と呼ばれる人物です。では、利助から春輔、◯◯と改名して初代内閣総理大臣となったこの偉人は誰でしょうか。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
旅する雑学「山口県出身の初代内閣総理大臣とは?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(伊藤博文の肖像が懐かしい千円札)
正解は、「 伊藤 博文 」でした。
初代・伊藤博文総理の木造茅葺き平屋の小さな生家。もとは萩藩の居宅でした。博文の父は伊藤家の養子になっており、一家をあげて伊藤家に入家しています。
幼少期から様々な物事に親しみながら成長した博文は、安政4年(1857年)に木戸孝允の義弟の紹介により松下村塾に入ります。その際に「周旋家になりそう」だと吉田松陰の評価を得ている人物でした。
明治新政府で参与、兵庫県令(知事)などを歴任。その後、要職を経て明治18年(1885年)初代内閣総理大臣となりました。