夏目漱石と同じ借家に以前住んでいた文豪は誰?|旅する雑学(152)
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出典:photoAC(夏目漱石の千円札を知る人も少なくなりましたね)
明治の文豪 夏目漱石が「吾輩は猫である」を書いたのは、本郷区駒込千駄木町57番地(現在の東京都文京区向丘二丁目20番7号)の借家でした。
もともと明治20年(1887年)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられた和風住宅で、漱石は明治36年(1903年)から明治39年まで住んでいました。奇しくもこの家に、わずか1年ではありますが、明治の偉人が借家住まいをしていたのです。誰だかご存じですか?
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旅する雑学「夏目漱石と同じ借家に以前住んでいた文豪は誰?」の答えはこちら。わかりましたか?
出典:photoAC(明治の文豪 森鴎外も同じ借家に住んでいたのです)
正解は、「 森鴎外 」でした。
明治23年(1890年)から明治25年までここに住んでいた森鴎外は、この家を「千朶山房(せんださんぼう)」と名付けて「文づかひ」を執筆しました。
二人の明治の文豪 森鴎外と夏目漱石が住んでいたこの住宅は、1964年に愛知県犬山市の明治村に移築保存されています。中を見学することも出来るので、是非訪れてみてください。
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